「シリアスファン」を手放す決断をして

ブラインドサッカー日本代表、イングランド強化遠征中です。ここまで順調に勝っていることにも安堵しつつ、12月アジア選手権を狙いにした遠征なので、さまざまプランの検証、修正をしていることと思います。応援、よろしくお願いします(協会ツイッターで結果報告のみ行っております)

 

先週の久しぶりのブログの更新の次は、個人的なトピックです。もしかすると読んで不快な気持ちになる人がいるかもしれませんが、自分自身の内省、そしてそれをある程度関係する人に知ってもらうことが大事だと思っての記事なので、だれかを傷つけたいという意図はありません。

 

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みなさん、「シリアスファン」っていう言葉、ご存じですか?

 

これ、一般的なのかと思っていたら、まったくそんなことなかったみたいでした。ググっても一般用語としてはでてこないんですね。

そんな言葉を僕が、誰から教えてもらったのかはもう記憶の彼方です。が、この「シリアスファン」をこの10年以上にわたって、僕は自分が大切にすべき価値基準に据えていました。

 

僕なりのシリアスファンの定義要素は、

 

 ・「ファン=fun」の通り、楽しいものであること

 ・ただし、「シリアス=真剣さ、真面目な、厳粛な、重大な」という意味が形容するように、真剣な取り組みや、厳しい環境下において得られる「ファン」であること

 ・たとえばテレビゲームやパチンコのように遊戯ツールによって与えられる楽しみではなく、みずから主体的に困難を乗り越えた先に得られる「ファン」であること

 

つまり、まさに世界を目指すブラインドサッカーにふさわしく、真剣に取り組み、必死に走り、わずか1点に気持ちを寄せ、その先にある勝利からくる「喜び」

 

そんな「ファン」を大事にして生きてきたんだと思います。

 

それが、いまの僕を育んできたし、日本ブラインドサッカー協会のいまがあるのも、この価値観に拠るところが大きいと思ってます。それによって、何者でもなかった僕自身が、なにものでもなかったこの協会が、たくさんの皆さんと真剣に努力をしてこれた、そして、こんにちのあり方に至るまでにかいたその汗の量は、やっぱり尊いと思うのです。

 

それが、2014年ころからでしょうか、このシリアスファンが苦しいものと感じることが多くなってきたのです。でも、2015年のリオパラリンピック予選での敗退を受けて、「やっぱりまだ取り組みが足りないんだ」「不十分だったんだ」「やれることがまだあるんだ」と、「シリアスさが足りない」というたこつぼに入っていってしまうのです。

 

でも、僕自身の心の苦しさは、やはりいろいろな人に伝わっていたんだろうなーとも思います。

 

2014年〜16年くらいは、事業を展開してきた中でも、やってきた結果が少しずつ成果に結びつきはじめ、同時に事業環境も良くなってきた頃です。スタッフも増えて、僕の過剰な偏りある(?)価値観は、スタッフや組織にも影響するようになっていました。スタッフからすると、常に「まだまだ」を求められ、褒められることも少なかった時期です。きっと苦しかったんだろうなぁと今でも思います。

 

それが、何者でもなかった自分自身、この組織自体が、いまでは、しっかりしたブランドの力をもてるようになってきた。そのなかで、過剰な貧乏性や欠乏症のような価値観は、不健全な反作用として働きつつあることを、さまざまな状況で感じていたのです。

 

そしてそれは、そこまでがんばれてこれた価値基準を捨てることでもあり、=自分自身を乗り越えることに近い気持ちでした。 

 「手放して、(また)失敗しちゃうんじゃないの?」

 「他者からみると不誠実そうで、怒られるんじゃないの?」

 「だからブラサカはだめなんだ」とか言われるんじゃないか

といった不安もありました。

 

でも、(きっとスタッフは苦笑するところですが)そんな葛藤をしている時期は、僕は「怒髪天を衝く」ような怒り方や「物にあたる」や、ごくごくまれですが、怒りの斧のおろし先がなく「帰る」行為など…  ひどいものであり、また、当然ですがチームワークが損なわれ、職場から笑顔も減っていたのだと思います。

 

シリアスファンを手放してみて、また、手放し続けていいんだ、と思える今があって、実際に僕は「怒る」ことがほとんどなくなった気がします(怒ることとシリアスファンはイコールではありませんが)。たまに昔ながらのスタッフに「もっと怒るべきところを怒ったほうが、何を大事にしているか伝わるよ」と言われたりしますが、怒りの発露は「シリアスファン」にあったことを探り当ててから、怒るという感情と少しだけ冷静に付き合えているのかもしれません。

 

シリアスファンを手放してしばらく、よい作用も、もちろん反作用も感じてますが、いまのところよい作用をもっと育てていけたらと思ってます。組織づくりにも影響がもちろんあると思っています。

 

ブログもシリアスさにこだわらず、批判も軽やかに受け流し、下書きしたままで公開できない記事に埋もれないようにしたいな、と思います(笑。

 

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 追記:僕のシリアスファンの原点は、大学受験に失敗し浪人したときに、親友の送ってくれた手紙に一言だけかいてあった「満足は後退の始まり」かもしれないな。